志位さんの記者会見を読んで

 

 志位さんの記者会見のニュース(9月6日朝日)を読んだ。全く同感の内容だった。

朝日の記事では、「…気候変動、地震の両面で、政治が知恵と力を尽くしていくことが党派の違いこえて必要な時期に来ている」と結んでいた。

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 今にも西の方から「ミサイルが飛んでくる」という想定で、「地震で北海道が停電した」という目の前の現実を打ち消すことはできない。まして、この北海道地震の前日まで、日本列島は南から北までかつてない災禍を振りまいた台風21号に怯えていた矢先であった。

 予ねて私は、国土建設、地域政策、街づくりのなど、国民生活と文化の在り方について基本的な問題があると考え、いくつかの提言もしてきたが、昨今のように、激甚な災禍が連続して降りかかるたびに、メディアを通じてそれなりに世論が喚起されてきたことは知っている。

 しかし例えば、非核・平和の日本、原発再稼働の停止、地球環境から地域の在り方に至るまで、日本国民がこれから避けて通ることの出来ない平和と民主主義の危機について、政治の在り方を問う国民的なレベルでの政策論争がなされた、という記憶はなかった。

 もちろん、公害問題などで、国民の生命財産が直接問われる事態に迫られ、一定の前進をしてきた実績もあり、こうした経験を今後に生かしてゆくことは大切だと思う。

 

 

 

共産党志位和夫委員長(発言録)

 

 日本が防災面で抜本的な対応をやらなければいけない非常に重大な時期に来ている。一つは異常気象。今年は豪雨災害、台風災害が相次ぎ、非常に深刻な被害が出た。災害級と言われた猛暑の問題もいろんな被害が出ている。

 明らかに地球環境の異変、気候変動が根っこに働き、一連の災害が起きている。これまでの延長線上ではない、一連の対策が求められると強く感じている。

 地震という点でも日本列島が非常に不安定な状況に入りつつある。気候変動地震の両面で、政治が知恵と力を尽くしていくことが、党派の違いを超えて必要な時期に来ている。(6日、記者会見で)

地域の生活空間と子供の遊び場

                                         

                    ――特に、日常の生活領域において何が大切かを考えてみる――

 

「顔見知り度」の高い街へと転換

               心理的な危険が排除されやすい「通り」機能の回復を重視――元来、「通り」

               は多面  的な生活行動の場であった。

地域を「住みよく」つくり変える 

               住民自治の前進――わが街を(歴史的・空間的に)考える。――国民・市民で

               なく住民=住んでいる人=が住みよい街。

「遊び」に見合う子どもの「育ち」

              「子どもは遊びの中でだけ大人に管理されず命令されず、本当に自主的な自分                 の人生の主人公になれる」。(暉峻淑子)

「遊べる街」から危険は排除される

                物理的な危険排除の仕組み・構造=建築・都市的な営み。向こう3軒両隣が

                知り合うこと。→「顔見知り度」を高める。

住戸の近傍が子供の遊び場となる 

    「道」空間を通行専用から生活(遊び)空間へ機能回復。不急な車の通行を

    抑制・排除し、→ 駐車方式を再検討する。

住まいと地域のインターフェイス 

    不要となった駐車空間の積極的な活用で、外遊びを活発に。花火、けん玉、こ

    ま回し、スケート、縄跳び、夕涼み……

                                (永山孝一)

わがまち探訪・『藩政期の金沢』から

昨今「地方創生」の掛け声ばかりが聞こえてくる。置き去りにされてきた地域経済と市民生活の窮状が背景にあるからだろうか。そこで、バブル崩壊から三〇年になろうという金沢の中心市街に目をやると、かつての金融街はいよいよ消滅しつつあり、ホテル・マンション街へと転換を模索するかのようだ。

兼六園から東山界隈は、旅行者はかつてより増えているようだが、金沢の真の姿を伝える情報は一体どこへ行ってしまったのか?そこで、「季刊・コスモス」秋季号「わがまち探訪」では、まずは、「藩政期の金沢」市街図を参照して、金沢という地方都市の中心市街の原型から紹介してみたい。

資料・『藩政期の金沢』から

・『京の町家』『金沢の町家』=SD選書で有名な島村昇教授の『住文化史論 Ⅲ』(都市住居篇)』(京大学術出版会二〇〇三年刊二四頁)による『藩政期の金沢』全体図です。―― 水色に塗った川が 〝二つの流れ〟 と謳われる金沢を象徴する川で徳田秋声泉鏡花で知られる浅野川(左)。右の幅の広い川が室生犀星で知られる犀川。図の上が上流です。

・貴重な資料ですが、図の見方は大まかに言って中心がお城、黒く塗った部分が町屋、細かい網目のような区画が武家屋敷などを示し、斜線部が寺院です。

・町屋の黒塗になっている部分の白い線が街道です。街道の端の赤い点は城下の入口と街道の名前です。藩政期の金沢では、町屋が北國街道沿いや金石(宮腰)往還沿いなど、放射状に各方面へ向かう街道の両側に並んでいました。

 ・市街を北から南に通っているのが旧・北国街道。北端の大樋には鳴滝神社、南端の有松には貴船神社があり、水を尊んだ往時のまちづくりが偲ばれます。

 ・金沢は戦火に遭っていませんから、その後の都市計画道路を除き現在も概ねこの図のとおりで、犀川から浅野川まで約二㎞ゆっくり歩いて三〇分です。

 

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社会を根底から揺るがす労働力の「萎縮」

 幼きこどもたちは、その街に育ち、青年から壮年へ働き手として成長し、年寄りは老いてゆく――その社会における労働と生産の様式は、歴史的に形成され発展するにつれ、家族の関係や住まいの形成とともに、あるべき地域・都市が構想され、造り上げられてきた。――これが人の世の習いだった。しかしいま、バブル経済の崩壊から30年となる日本の世相を振り返ってみると、労働力の「萎縮」が社会の諸現象の根底を揺るがしているようだ。

 

 例えば、少子化=人材不足といわれる時代的状況がある。これは「労働力の社会的再生産」という社会の存立にとって必要不可欠な基盤が毀損された社会制度が要因となっている。いまや、外国人労働や非正規労働が異常に拡大し、あげくは「高プロ導入」などという労働法制の非人間化までも公然と進められようとしている。「少子化」という社会の在り方が招く質的な変化について、この間の労働者の可処分所得の減少や、個人責任の名のもとに社会保障が不当に圧迫されてきた経緯にも注目する必要がある。

 

 また、わが国でも1950年代以降進められてきた都市圏の空間的拡大(スプロール)は、1990年代からは、拡大する都市の縮小(コンパクト)へとシフトしつつある。一方で、産業のグローバル化の流れのもとに国内製造業の海外流出は激しく、他方で産業構造の変化と大都市圏への過度な集中が進み、総じて地方経済の空疎化には厳しいものがある。また、この間の国土形成から見ると、都市のスプロール化は農業生産の減退を招き、限界集落・消滅集落が多発する一方、地方の自治体においては、拡大した都市機能の維持は破たんしつつあるようだ。

 

 こうして、国民生活・地域経済が明日への展望を持てない状況に追い込んできた大資本本位の政治・経済を、国民生活本位に改めることはいよいよ待ったなしの緊急な課題となっている。

  そのための中心課題は、なにはさておき「萎縮」する労働力を「溌剌」たる労働力に転換することにあり、そのためには土壌となるべき地域活性化の基礎である明日への「希望」、それを支える地域経済の再生にあることは言を俟たないであろう。

 

 永山孝一(2018.06.11)

『豊かさへ もうひとつの道』を読んで

  『豊かさへ もうひとつの道』暉峻淑子・著(かもがわ出版)は、金沢の『資本論』学習会で紹介してもらい、座右において学んで久方ぶりに感銘を受けた著作です。特に印象深かった部分(紙幅の都合でその一部)から抜書きしましたのでご紹介します。

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もうひとつの道があるはず

 けれども経済の自由は人間の自由と同じではありませんでした。経済の自由とは、営利の自由、契約の自由であって、人間が飢えや、病気や、無知から開放されて自由になることではありませんでした。例えば、労働者が、不衛生で危険な労働の改善を求め、生きていけないような低賃金の賃上げを求めて労働組合をつくることは、経済の自由に反するとして、厳しく罰せられました。労働運動のリーダーは死刑にさえなったのです。(一八八頁)

 利益を上げるための競争社会は、目先の成果と効率を上げる強迫神経症の社会を作り出します。仕事のIT化によってノートパソコンを持ち歩き、家に帰ってもメールの送受信、インターネットでの情報収集、ファイル作製などをしなければならない環境が、休息を奪いとってしまいます。過労死した人のパソコン記録を見ると、そのことがはっきりしているのです。人間の歴史は未来に続くものですが、目先の利益に追いまくられていると、五年先のことさえも考えられなくなります。人間社会の将来なんかどうでもよく、自分、自分、自分です。私生活を勤務の中に持ち込むことを厳しく禁じる会社は、その反対に私生活の中に平然と職場の仕事を持ち込ませているのです。(一九一頁)

 ではこの二つの流れの中のどちらが、本来の人間社会なのでしょうか。それはやはり連帯の社会だと私は考えます。なぜなら、人間がこの地上に現れて以来、個々には弱い人間であったにもかかわらず、生き延びてこられたのは、人間が集団として連帯して生きる動物であったからです。技術の伝達も分業も協業も、言葉の発達も、全ては集団としてしか生きられなかった人間生活に由来していました。集団を支えてきたのは、相互に支えあい補い合う、相互扶助の共同領域を維持し続けてきた人間社会の構造にあります。全ての人を人間社会という共同体の中に抱え込んで、ともに生きようとする人間の社会原則です。共同体を破壊して私有財産化した資本主義経済にあっても、この共同部分は社会保障として、発達していきました。(二一四頁)

                              二〇〇九年五月・永山

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 『豊かさへ もうひとつの道』

   暉峻淑子・著(株式会社かもがわ出版)二〇〇八年一一月二八日第一刷発行

 

 

 

 

 

 

 

「尾山」の頂に曲水が設えられ

  ゴールデンウイーク前の日曜日。「兼六園に行きたい」と孫が言うので、またとない快晴に誘われて、早朝は入場無料である特別名勝に着いたのは午前六時。観光ガイドにも紹介される「曲水のカキツバタ」にはまだ早かったが、早暁の陽射しに輝く日本最古と言われる噴水に見とれる女性があり、お聞きすると群馬からとのことで、兼六園の見どころの一つをご紹介しました。

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 小立野台地の「尾根」に設けられた辰巳用水により「尾山」の頂に曲水が設えられ、霞ヶ池との落差3.5mを利用した日本最古と言われるこの噴水や翠滝なども、お濠や総構えと合わせ見どころの一つなのです。池やお濠の底には西念(金沢駅西)の「青ネバ」と言われる粘土が張り付けられたと聞いています。また、「尾山」の地名は、加賀藩となり兼六園が出来る以前から、浄土真宗の「尾山御坊」があった場所であることも付け加えておきました。

 兼六園の名前の由来について「兼六園めぐり」によると、その意味は「広々としていれば(宏大)静かな奥深さはなく(幽邃)、人工的であれば(人力)古びた趣は少なくなる(蒼古)。 また池や曲水や滝が多ければ(水泉)、遠くは眺められない(望)。

 つまりそれぞれ相反する景観(六勝)を兼ね備えているのは『湖園』だけである」ということです。そしてまさに兼六園がそうであるという理由で名づけられたと言われます。

 永山孝一(2018.04.22)

ミニメディアを地域に

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 個性豊かな地域社会を願い、暮らしと平和を育んできた私たちの地域は、15年戦争をも含む長い歴史のうえに築かれてきました。いま、地域の平和と歴史に暗黒の時代の再来を狙う、憲法9条の死文化が画策されています。この策謀を押し止め、新しい時代を切り開く力はどこにあるのでしょうか。

 地域・職域では9条の会(2004年設立)や革新懇(1991年設立)など貴重な活動が続けられてきましたが、マスメディアは必ずしも地域住民の立場からこの逆流に効果的に反撃し得ずにいると思えます。このような局面において最も大切なことは、地域住民が創意を凝らして地域の明日を切り拓くこと、即ち、平和を希求する住民の『連帯』にありますが、この『連帯』への基礎的な力はどこから生まれるか。それは、地域に暮らすという共通の土壌、即ち『住民自治』への志向にあると言わねばなりません。

 ひとつの事例として、ここに地域9条の会の「会報活動」に注目したいと思います。寺町台9条の会では、会報『9条・通心』が創刊以来37号となっています。会報に意見を述べることは、会員である住民が地域の明日を描くことでもあり、それを通して地域の連帯は強まってゆく。私の知る限り、金沢ではこのほか小立野・犀川ロード9条の会の会報では、地域の有志の貴重な意見が紹介され注目されます。いま、金沢ばかりか全県下で、平和を希求するミニメディアが創意を凝らして発動するならば、現実の事態を明るい未来に向けて切り拓く確かな力になると思います。

                  寺町台9条の会 永山孝一(2017.08・10)