提言:学校の教室など主要室を木造の床に

 国と自治体の事業として、小・中学校の教室・廊下など主要室を木造の2重床に改善することを提案します。私たち日本人は、古来山々に囲まれ生活してきました。山麓広葉樹林を歩くときの、その柔らかな感触を知っています。

 いま、日本の子どもたちの置かれた教育環境は、とりわけこの20年間、飛び跳ねない転ばない習性を強要する=堅いコンクリートの床=環境にありました。いま「地域再生」を考えるうえで、子どもたちの「健全な成育環境」の整備は焦眉の課題であり、生活時間の多くを占める小・中学校の教室・廊下などの成育環境の改善は特に緊急を要するものと考えます。

《提案の理由》

1、人間の居住環境において、床構造の適度な撓み性能の確保は不可欠です。とりわけ、子どもの健全な成育にとって、学校建築の主要室における床の撓み性能の確保は必須条件です。脊椎動物であり、起って活動する人間にとって足元の床構造が大切であることは論を待ちません。

2、わが国では、戦後、学校建築の不燃化・耐震化への要請があり、鉄筋コンクリート造建築に順次置き換えられてきましたが、屋内運動場についてはその多くは木造床張りとなっています。教室・廊下など主要室については、求められる床性能のうち維持管理の容易さが重視されるあまり(1)の要件が軽視されてきたといえます。

3、建築を構成する各部位の機能・材料・構法の確定は建築設計行為の中心です。とりわけ床の構造は、その建築空間の質を左右するとも言えるものです。

《教室を木造の2重床にすることの主な効用》

1、2重床の構造は 

現在の鉄筋コンクリート直仕上の床上に空気層を持った2重床を設置します。例えば空気層は70㎜で、床は杉板15㎜+フローリング材15㎜の計30㎜とします。

2、床の撓み性能

例えば、武道館などの床構造を見ると競技場の床は周囲の一般床とは絶縁されてその競技に必要な床の弾性=撓み性能が確保されています。私たちの住宅の床も普段あまり気に留めませんが「撓み性能」の恩恵を受けているのです。

3、2重床の温熱効果

特に冬になると、月曜の朝は教室の床が冷えて寒いことは知られていますが、2重床の温熱効果は絶大で、冷却された躯体コンクリートへの放熱を遮断します。また、この床下空間は教室の室温調整、さらには調湿性能の面からも有効に活用できるのです。

4、音響特性の改善

床の板張りは音響特性の改善にも絶大な力があって、反響を抑制し、先生のお話が聞きとり易くなるばかりか、柔らかい音場の形成にも貢献します。

5、地域経済への効用

使用する木材はその地域で調達。林業、製材業、加工産業を育成・促進、施工は地元の職方によりますから経済の地域循環に多大な貢献をします。

 

松川事件を記憶遺産に

 松川事件を記憶遺産に―― 東京新聞 2017年6月19日私説・論説室から(転載)

 戦後最大の冤罪(えんざい)は松川事件であろう。一九四九年に福島県内で起きた列車転覆事故である。線路継ぎ目のボルトが緩められレール一本も外され、転覆するように仕組まれていた。機関士ら三人が死亡した。

 警察は当時の国鉄の大量人員整理に反対していた労働組合員による犯行だと決め付けていた。芋づる式に組合員らが逮捕された。

 一審では被告二十人が全員有罪、うち死刑が五人、五人が無期懲役だった。二審も有罪だったが、最高裁が二審を破棄。差し戻し審で全員が無罪となり、これが確定した。

 冤罪であったことが明白となったが、その背景には弁護団の活躍ばかりでなく、作家の広津和郎が「中央公論」で無罪論を書くなど、作家らの支援運動があったことがある。

 福島大学には松川事件の資料がある。八八年に開設した松川資料室には十万点にのぼる関係資料を収集・公開している。同大ではこれをユネスコの「世界記憶遺産」への登録を目指している。既に国内委員会に対して登録申請の手続きを済ませた。

 一審で死刑判決を受けた男性(93)は十年近く拘置所に入れられ男盛りの時代を奪われた。本紙に「『共謀罪』に反対だ。実行行為すらいらず、何にでも適用できる。権力の横暴に歯止めがかからなくなる」と答えていた。

 冤罪。人間の愚かしさも記憶として後世に伝えねばならない。 (桐山桂一)

 

〝それでも地球は動く〟

 金沢・革新懇の事務局から依頼がありましたので、先日、発行された 『非核・いしかわ』6月号〝編集室から〟の拙稿に加筆してご紹介します。

    *    *

 ガリレオ・ガリレイのつぶやき〝それでも地球は動く〟(宗教裁判『異端審問』)は子どもたちも知っている。

 それと同時代の〝われ思う、故に我あり〟は、ルネ・デカルト(1596~1650年)が『方法序説』の中で提唱した命題で、科学的な考え方の基礎となっている。

 私たちも、戦後教育の中学教科書で学んだ『われとわれら』(『展望』)。その中で著者・谷川徹三は――それまで人は『われら』でしかなかったが、それ以後は『われ』であることが出来た――と述べている。

 いま『共謀罪』立法で、この『われ思う』=『内心の自由』に踏み入るならば、15年戦争に日本国民を追い込んだ治安維持法(1941年)ばかりか、『異端審問』(1633年)をも連想させることになると思う。

          

人口予測と住宅需要

人口予測と住宅需要――2030年には人口が8000万人(高齢化率39.9%)と推計されています(「国立社会保障・人口問題研究所」)。従って15年後には、現在の800万戸の空き家が2100万戸を超え、3戸に1戸が空き家となることが予測され、新しい住宅建設への需要は激減すると思われます。

 それでなくとも大企業の内部留保は増大する反面、庶民の預貯金は激減しているなか新しい家を建てる意欲は減退し、古い家を改修利用する傾向は強まります。現に、周りを見回したところ、多くの若者は素敵な車があっても買えず、スマホ止まりとなっているのです。(2017年6月12日)=続く=

 

『亡国招来』法案

 参院法務委の「共謀罪」法案についての参考人質疑(6月1日)での松宮孝明立命館大学教授の陳述によれば、「…広く市民の内心が捜査と処罰の対象となり、市民生活の自由と安全が危機にさらされる戦後最悪の治安立法となるだけでなく、実務にも混乱をもたらします。」とあります。

 これが現実となると誠に恐ろしい事態です。――思えば今は亡き大正生まれの母が、私が大きな声を上げると必ず口に手を当てて制止したことを思い出します。要は、何事につけても、本音を語れない世の中になるということです。「本音」を失うということは、人々は生きるために「虚言」だけが横行する世界を招来することになり、つまるところ亡国に向かうことになります。であれば、いま国会で「審議」されているという「共謀罪」法案の本質は「亡国招来」法案であるといえます。=続く=

 

 

市民メディアの発動で

                                                           市民メディアの発動で

                                    ――9条改憲を阻止し、民主的な地域へ変革を――

9条改憲を阻止し、貧困も、格差も、生活不安もない社会を実現する力は、私たち国民の連帯です。憲法改悪を狙う反動的な動きを打破するうえでも、いま、私たちの日常生活圏から市民のメディアを発動することが大切です。

金沢都市圏には、地域特性を異にする6つのブロックがあり、これをベースに考えると、例えば以下のような地区が想定できます。当面こうした地区において、地域住民による情報交流の場としてのミニ・メディアを立ち上げ、地域課題と共に3000万署名をはじめとした運動推進の拠点とすることが考えられます。

金沢市域には小立野・犀川ロード9条の会のニュース、寺町台九条の会『9条・通心』及び、九条の会石川ネットのニュースレターなどが定期刊行されています。これらの経験を基盤とした市民のメディアによって、より広範な連帯を築き上げることが求められます。

 

                           西南部地区        西部地区       粟崎・内灘地区

                                               

                            南部地区       犀川・兼六地区       東部地区

                                                       

参考資料①:横山講演録集から

憲法九条、十三条、二五条というのは人類の歴史的な到達点です。それを踏まえた社会保障を目指せば、すぐにでもとは言いませんが、貧困も、格差も、生活不安もない社会の実現が可能だということを語ってほしいと思います。個人の自己決定を尊重し、多様な生き方を保障する社会を実現していく、そのことも憲法に書かれているということも是非、語って欲しいと思います」。

 ――「日本の社会保障をめぐる情勢と私たちの課題」2018社会保障講演会より――

 

参考資料②:住民自治の発展を

九条の会や非核の会をはじめ様々な民主運動の連帯が、金沢都市圏における住民のまちづくりの推進力となるためには、それぞれ固有性のある地域・地区を設定して、現実的な諸課題に取り組むことを通じ、住民自治を発展させてゆくことが大切だと思います。

 

 

 

平成 浅野川氾濫

第1幕 それは、昭和28年・浅野川氾濫

 古来「治水」は住民の営みである(註1)。思えば少年時代の私にとって、昭和28年の浅野川氾濫はその第1幕だった。「浅野川大橋をのぞき全橋が流失」(『石川の土木建築史』)(註2)。――上流からは崩壊した木造の橋や大木が次々と流れてくる。少年はその現場に居た。

  その頃瓢箪町小学校に通っていた私は、中島大橋の左岸で息を呑んで成り行きを注視する地区住民に混じり、恰も舟のように川の真ん中を流れる木造の仮橋が、中央の橋脚に激突するのを見ていた。木造土橋だった中島大橋はひとたまりもなく崩壊するや、下流にある北陸本線の橋脚に塞がり流れを堰き止めて、地域一帯は見る間に大洪水に見舞われた。

 

第2幕 そして、平成20浅野川氾濫

 そこには、住民の「治水」を忘れたかのような状景が連続していた。第2幕・平成20年の「浅野川氾濫」。――「かさ上げ堤防の管理不手際だと?」、「浅野川放水路による犀川への分流に失敗した?」、そのうえ「上流で砂防の決壊とは思わぬところで治水システムが破綻してしまったではないか!」。

 ここには山川を治められない街・金沢があった。「ダム建設」・「新幹線」。大きな事業に目を奪われ、病んだまちづくりに自然が反逆。流域の住民はあふれる泥水に怯え、途方にくれている。

                                                  (永山孝一 平成20年・日記から)

参考資料

1  『天下泰平の時代』=「シリーズ日本近世史③」高埜利彦著(岩波新書)157頁より転載。

 享保5年に、吉宗政権はいわゆる国役普請令を発した。河川の土木工事(普請)は江戸時代の前半期には、領主が農民を夫役(年貢とともに義務)として徴発し、普請人足に用いて行った。今回の国役普請令では、河川工事を町人に請け負わせ、その町人が人夫を集めて工事を実施し、その費用を国役金で周辺農民に負担させる方式である。

 たとえば利根川の普請を行う場合、費用の九割を武蔵・下総・常陸・上野・安房・上総六か国の農民に、国役として負担させ、一割を幕府が負担した。利根川流域の村々が領主単位で普請を行おうとしても一部に止まり、河川全体に及ばない。そこで、幕領・私領を問わず広範囲の河川普請を町人に請け負わせ、国役金で賄う方式を実施させたものである。ただし、一国一円を支配する国持大名や二十万石以上の大名はこれまで通り自普請とする。と命じている。この国役普請制度は、以後も恒常的に施行された制度である。請け負った町人が、編成できる労働力の存在が前提となって可能な制度である。つまりは、農業から離れた浮遊労働力の一定の集積が想定される。

2  昭和28年8月24日 浅野川に大被害:浅野川大橋をのぞき全橋流失。死者1、行方不明3、家全壊1、半壊16、床上浸水4,029。(『石川の土木建築史』石川県土木部)