都市の個性こそ金沢の未来

わが国が「新幹線時代」と言われた1964年からすでに半世紀が過ぎ去った。そして、今、ようやく金沢にもその「新」時代がやってきたのである。2015年春から、街の中心部に(限れば)観光客は増え、兼六園などではかつての高度成長期のように入場者が毎日1万人を超えるという。旅行者の話し言葉からも外国人の多さに改めて驚く。

遠来の旅行者は、観光を求めて金沢を訪れるのであり、言葉を替えれば「街の個性」を体感することが目的であろう。であれば、それを迎える方の礼儀としては、何ものにも代え難い金沢の「街の文化」を実感できるよう心掛けるべきことは言を俟たない。その金沢も、失われた20年の閉塞で、中心市街地の空洞化の止まることなき状況を目にする時、「都市の個性」とはなにかが改めて問われているのである。

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「高度成長」期から地方都市の生活圏が、周辺市町を含む郊外地域へ拡大される一方、市民の生活交通は、市電撤去を含めいよいよ私的自動車交通への依存=移動の「自己責任」化=を強め、今日では、日常生活における移動にも事欠く「移動困難者」が増大し、生活交通の困難が際立ってきている。とりわけ金沢の郊外地域の人口(2012年住民基本台帳から)は、山側16万人海側18万人で、計34万人(77%)を占め、公共交通の脆弱さは目を覆うばかりだ。また、かつては中心的な居住・商業地区であった旧市域の中心市街地でも10万人(23%)で空洞化は進行し、都心の「限界集落」「消滅集落」化が囁かれるなど都市生活は不自由、破綻の様相を呈している。

 このような中で今、金沢市では、市議会庁舎を西外総構掘の外側へ移転して、行政庁舎との長い連絡通路で総構掘を跨いで繋ぐ計画が進んでいると聞いて耳を疑った。いまなぜ連絡通路なのか。やたらと「空中歩廊」や「地下通路」を造らず、地上を歩いて行き来すればよいのである。むしろ、空中歩廊を求める発想の背景には、人の行き来し難い地表の現実にこそあるのではないか。そして、実はその地表の「行き来し難さ」こそ、「公共」が解決すべき地方都市の現実なのではないか?

市民はもとより、旅行者からも愛される金沢をイメージするほどに、『都市格』を傷つけるような計画は思い止まってほしいと願わずにはおられない。

(2016年10月18日 永山孝一)