「傷つきやすい心」を忘れた科学者の慢心

編集

『非核・いしかわ』花鳥風月より

 その頃は、うたごえ運動も盛んで「みたび許すまじ原爆を/われらの街に…」とよく歌った▼そして、私には今も忘れないもう一つの言葉がある。45年前、金沢で開催した建築講演会の質疑応答で、敬愛する山本学治先生(東京芸大教授・建築学)の「傷つきやすい心を持ち続けることが大切」は、原発の建設準備に携わっているという青年技術者の質問=悩みへのアドバイスだった▼いま、米・原発事業の「隠れ損失」という地雷に遭遇した東芝が、まさに崩壊の瀬戸際にあるが、それでも近く、トランプ大統領との会談を控えた安倍首相は、原発輸出を成長戦略のかなめに置いている▼日本学術会議は4日都内で「大学などの研究機関に対する防衛省の資金提供制度を考える学術フォーラムを開き、約280人が参加。議論では軍事研究に反対する意見が大多数を占めました」「哲学のない科学技術は凶器になる」(赤旗)とあるが▼「歌を忘れたカナリア」のように、「傷つきやすい心」を忘れた科学者の慢心―凡そ人類の科学とは相容れない「反科学」―の横行は、いよいよ見過ごすことが許されなくなってくる。

 

資料① 原爆を許すまじ

ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に

ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの海に

ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの空に

はらからのたえまなき
労働にきずきあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
世界の上に

 

資料② 歌を忘れたカナリア

 《 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリア象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す》

童謡「かなりあ」(詩・西条八十)です。童謡は大正時代に、鈴木三重吉北原白秋など唱歌に飽きたらぬ文学者や詩人たちが、「子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むような歌と曲」を与えようと立ち上がって作られた子供のための歌なのです。
西条八十は幼い日、教会のクリスマスに行った夜のことを思い出しながら、この唄を作詞しました。教会内に華やかにともされていた電灯の中で、彼の頭上の電灯が一つだけポツンと消えていました。
幼き心に「百禽(ももり)がそろって楽しげにさえずっている中に、ただ一羽だけ鳴くのを忘れた小鳥であるような感じがしみじみとしてきた」のです。
子供の心を知る西条は、そのように傷つきやすい子供らの心に希望を与えようとして、この「かなりあ」を作詞したのです。唄を忘れたカナリアも、自分の居場所を見つけることができれば再び美しい声で歌い出すのです。 
このカナリアは、作者の西条八十自身であり、創作活動に行き詰まりを感じていた当時の心境を歌詞にしたとも言われています。
「唄を忘れたカナリア」になった彼は、詩を捨てたほうがいいのだろうか、それとも無理にでも詩を作ったほうがいいのだろうかと悩みます。

世界には、まだまだ詩となるべき美しいものが満ちているはずであり、自分はそれに気が付いていないだけだ。それを見つけることができたなら、忘れていた詩を作れるようになるという思いを込めて、この童謡を作ったのです。(Yahoo知恵袋