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萌えいづる春

前略  萌えいづる春 なにかとご多用のことお見舞い申し上げます。

西国巡礼とかで、妻が友人と一緒に出かけてしまい勉強するしかなく、骨休めにこんな近況報告も如何かと思いつつ筆をとりました。

実は、いま読んでいる「シリーズ日本近世史①~⑤」(岩波書店)の『天下泰平の時代』③(高埜利彦・著)に、徳川吉宗政権の「江戸のゴミ問題」に取り組む風景などが描かれ、=第5章「構造改革」に挑む=都市生活の(ある意味)原点とも言えるこの問題は、金沢にとっても他人事ではないと思いまして、該当ページ「第3節 制度の充実」写真(添付)をお送りする次第です。

文中、「生産力の上昇を前提にして社会は変容した。浮遊労働力が都市や町やその周辺に存在し、これを編成する町人が仕事を請け負い、幕府や大名がこれを利用する形がとられ出した」と、生産力の発展と生産様式の変化=制度の充実=にも触れています。

 また、わが国では「京と江戸」はなにかにつけ語り草ですが、半世紀遅れの北陸新幹線で、「北の都」も注目されています。近くは、金沢市庁舎の「空中歩廊」を市民が拒否した背景にも、歴史都市への市民の思い入れがあると思います。

『城下町金沢』など遺作の多い田中喜男先生(経済学博士)も『金沢のまちづくりはどうあるべきか』(添付)で―― 「藩政は年貢のために農村に対して権力を行使したが、町民に対しては手をこまねいていた。町民からは税が入ればよかったので町の土地所有には関心がなかった。都市でも農村でも土地所有があった。江戸では、検地で定着した土地所有権を質に入れる者がいたという。その権利を質流れさせないようにとの行政の手立てもあったが、近代になって権力は土地所有に細かい規定を設けた。当時、江戸は人口130万人(ロンドンも130万人)で、都市と農村の協調型であり金沢も同じである。農村が都市を育ててきたが、その逆ではなかった。このことを確認しなくてはならない」――と述べられるように、私たちは「農村が都市を育ててきた」ことの意味を確認することが大切だと思いました。

                                                                                                                                            草々  

                                                                                                     2019年3月15日 永山孝一

 

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