社会を根底から揺るがす労働力の「萎縮」

 幼きこどもたちは、その街に育ち、青年から壮年へ働き手として成長し、年寄りは老いてゆく――その社会における労働と生産の様式は、歴史的に形成され発展するにつれ、家族の関係や住まいの形成とともに、あるべき地域・都市が構想され、造り上げられてきた。――これが人の世の習いだった。しかしいま、バブル経済の崩壊から30年となる日本の世相を振り返ってみると、労働力の「萎縮」が社会の諸現象の根底を揺るがしているようだ。

 

 例えば、少子化=人材不足といわれる時代的状況がある。これは「労働力の社会的再生産」という社会の存立にとって必要不可欠な基盤が毀損された社会制度が要因となっている。いまや、外国人労働や非正規労働が異常に拡大し、あげくは「高プロ導入」などという労働法制の非人間化までも公然と進められようとしている。「少子化」という社会の在り方が招く質的な変化について、この間の労働者の可処分所得の減少や、個人責任の名のもとに社会保障が不当に圧迫されてきた経緯にも注目する必要がある。

 

 また、わが国でも1950年代以降進められてきた都市圏の空間的拡大(スプロール)は、1990年代からは、拡大する都市の縮小(コンパクト)へとシフトしつつある。一方で、産業のグローバル化の流れのもとに国内製造業の海外流出は激しく、他方で産業構造の変化と大都市圏への過度な集中が進み、総じて地方経済の空疎化には厳しいものがある。また、この間の国土形成から見ると、都市のスプロール化は農業生産の減退を招き、限界集落・消滅集落が多発する一方、地方の自治体においては、拡大した都市機能の維持は破たんしつつあるようだ。

 

 こうして、国民生活・地域経済が明日への展望を持てない状況に追い込んできた大資本本位の政治・経済を、国民生活本位に改めることはいよいよ待ったなしの緊急な課題となっている。

  そのための中心課題は、なにはさておき「萎縮」する労働力を「溌剌」たる労働力に転換することにあり、そのためには土壌となるべき地域活性化の基礎である明日への「希望」、それを支える地域経済の再生にあることは言を俟たないであろう。

 

 永山孝一(2018.06.11)