居住地区は『生活の空間』―子どもたちに遊びの場を―

◇わがまち探訪◇ 居住地区は『生活の空間』―子どもたちに遊びの場を― 永山孝一

 

かつて街の「通り」は余程の大通りでない限り縁台を出しての夕涼みや、子どもたちは独楽をまわし竹馬に乗ったりで、通行専用ではなく日常の生活に不可欠な「多目的」な屋外空間だったが、昭和三〇年代のある日から、それは変わった。

「顔見知り度」の高い街へ

元来、町屋の「通り」は多面的な日常生活のための空間であったが、いわゆるマイカーの登場は事情を一変させたのであった。物理的にも心理的にも危険を排除しやすい町屋の「通り」。その失われた機能の回復は、疲弊してゆく相隣関係の再生にとっても有効であると思われる。

住戸近傍に子供の遊び場を――道・空間を「通行」から「生活」の空間へ機能を回復。景観・衛生・安全、地域とのインターフェイスとして地区の駐車システムを工夫し、外遊びを活発に。   

「住民自治」の前進が大切――地域に住む人が主体になって、歴史的・空間的にわが街のあり様を考えること。国民・市民でなく住民住んでいる人=にとって住みよい街へ。

「遊べるまち」は危険を排除する――物理的な危険排除の仕組=建築・都市的営みと、向こう三軒両隣が顔見知りになる。即ち「顔見知り度」を高めるまちづくりを回復してゆくことが大切だ。

「遊び」=子どもの育ち―― 子どもは遊びの中でだけ大人に管理されず命令されず、本当に自主的な自分の人生の主人公になれる」(『豊かさへもう一つの道』暉峻淑子より)

 「わがまち探訪」のテーマを考えると、以前からの私の主題でもある日本における「都市居住」中でも「子どもの遊び」が中心になるのです。子どもの遊びがあすの日本の行く手を左右する、と言っても過言でないかもしれません。『交流誌』季刊「コスモス」へひとつの提言です。

 

  

―『忙中閑』よりー ガリマ隊」 〔二〇一一年五月号〕

 

「公共空間と領域感」を考えるうえで、室生犀星の『幼年時代』に描かれている「ガリマ隊」は、大正時代の著作とはいえ、街の生活感を示す好例だ。――少年達は通りに迫り出す枝の果実を「収穫」する。(金沢の城下であった家々では庭に実のなる樹々が好んで植栽されていた)少年達は一人では出来なくても隊を組むや、通りという「公共空間」は直ちに自分達の「縄張り」と化する。――怒鳴り声を上げている庭のオヤジは隊にとって寸時は敵となるのであるが、こんな場合は素早く逃げるが勝ちであると知っている。

暉峻淑子氏はその著書『豊かさへ もうひとつの道』で「子どもは遊びの中でだけ大人に管理されず、命令されず、本当に自主的な自分の人生の主人公になれるからです。そして、自主的であればこそ自分の能力を精いっぱい発揮する喜びを知ります」と述べている。(傍点――筆者)

金沢ばかりか日本のまちが私たちに語りかけるように――半世紀の都市変容で失ったものに住居集合のあり方に深く関わる「公共空間と領域感」の喪失があると感じている。

 

註:「忙中間」は『建築とまちづくり』誌の巻頭エッセイ(二〇一一年四月号~三月号まで担当)